ストーリーで学ぶ 知財担当者のためのファイナンス

第11話/全15話

第11話 売るか、貸すか、それとも持ち続けるか

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※本連載は、知財担当者が会計・ファイナンスを学んでいく過程を描いた架空の物語です。

「毎年もろうた方が得やろ」

「それやったら、売らんと、使うことだけ認めて、毎年金をもろうた方がええんちゃうか?」

佐々木の言葉を聞いて、高橋は第10話で作成した表へ目を落とした。

特許権を売却すれば、権利者は東洋テクノから相手企業へ変わる。契約で東洋テクノの利用を認めてもらわない限り、将来自社で同じ技術を使う際に制約を受ける可能性がある。

一方、特許権を東洋テクノに残したまま、相手企業へ利用を認めることもできる。

「ライセンスですね」

「そうや。特許はうちに残る。向こうから毎年金も入る。売るより得やろ」

「得になる可能性はあります。ただ、必ず売却より有利になるとは限りません」

「なんでや?」

相手企業の新製品が予定どおり売れるとは限らない。

販売開始が遅れれば、ライセンス料の受け取りも遅れる。売上高に応じてライセンス料を受け取る契約なら、販売が伸びなければ収入も増えない。

「売却、ライセンス、保有継続の三つを比較する必要があります」

「金額を比べたらええんやな」

「金額だけでなく、受取時期、実現する可能性、東洋テクノが将来この技術を使う可能性も含めてです」

佐々木は、少し面倒そうな顔をした。

「ほな、どれが一番ええか調べてくれ」

三つの選択肢

高橋は、三つの選択肢を書き出した。

一つ目は、特許権を相手企業へ売却する方法である。

売却代金を受け取れば、早い段階で収入を確定できる。権利の維持管理も、原則として買い手へ移る。

その代わり、東洋テクノは特許権を失う。相手企業の製品が予想以上に売れても、通常は追加の収入を得られない。将来自社で同じ技術を使う際に、相手企業の特許権が制約になる可能性もある。

二つ目は、特許権を保有したまま、相手企業へ利用を許諾する方法である。

契約時に一時金を受け取り、その後、対象製品の売上高や生産数量に応じて継続的なライセンス料を受け取る方法が考えられる。

製品が大きく売れれば収入も増えるが、売れなければ収入は増えない。

三つ目は、売却もライセンスもせず、保有を続ける方法である。

特許を保有していれば、将来自社で使うことも、別の企業との取引に利用することもできる。

ただし、当面の収入は得られない。登録料や管理費用もかかり、保有している間に代替技術が登場する可能性もある。

将来の事業機会を残すために保有することと、利用方針を決めないまま放置することは違う。

保有を選ぶなら、何のために保有するのかを明確にする必要があった。

売却なら1億円、ライセンスなら1億1,500万円

数日後、相手企業から、社内検討用の条件案が届いた。

売却の場合は、1億円を一括で支払う。

ライセンスの場合は、契約時に1,000万円を支払い、その後5年間、対象製品の売上高の3%を支払う。

想定する対象製品の売上高も、年度別に記載されていた。

年度 想定売上高 料率 ライセンス料
1年目 5億円 3% 1,500万円
2年目 6億円 3% 1,800万円
3年目 7億円 3% 2,100万円
4年目 8億円 3% 2,400万円
5年目 9億円 3% 2,700万円
合計 35億円 1億500万円

5年間のライセンス料は、合計1億500万円になる。

契約時の一時金1,000万円を加えると、受取総額は1億1,500万円だった。

高橋が二つの案を佐々木へ見せると、佐々木はすぐにライセンス案を指した。

「こっちや。売ったら1億円。貸したら1億1,500万円。しかも特許は残る」

「ただ、この二つは同じ時点で受け取る金額ではありません」

「1,500万円多いことに変わりはないやろ」

「売却代金の1億円は、取引時に受け取れます。ライセンス料は、相手の製品が売れた後、5年間にわたって受け取る予定の金額です」

「予定?」

「相手の売上予測が実現した場合の金額です」

ライセンス案に書かれた1億1,500万円は、確定した代金ではなかった。

相手企業の販売計画を前提にした、将来の受取予想額だった。

受取時期をそろえて比べる

高橋は、経理部の森田へ相談した。

「売却なら今、1億円を受け取れる。ライセンスなら、5年間の合計で1億1,500万円になる。この二つは、どう比べればいいのかな」

森田は、年度別のライセンス料を確認した。

「将来受け取る金額を、現在価値に直してみたら?」

「第8話で教えてもらったDCFと同じ考え方か」

「そう。今受け取る1億円と、何年か先までかけて受け取る1億1,500万円は、そのままでは比べられないからね」

今受け取ったお金は、すぐに別の事業や設備へ使える。

将来受け取るお金は、それまで使えない。予定どおり受け取れるかどうかも分からない。

高橋は、相手企業が示した売上予測を使い、ライセンス料の現在価値を試算した。

比較のため、割引率を年10%と仮定した。

受取時期 受取予定額 現在価値の概算
契約時 1,000万円 1,000万円
1年後 1,500万円 約1,364万円
2年後 1,800万円 約1,488万円
3年後 2,100万円 約1,578万円
4年後 2,400万円 約1,639万円
5年後 2,700万円 約1,676万円
合計 1億1,500万円 約8,745万円

名目上の合計では、ライセンス案が売却案を1,500万円上回る。

しかし、受取時期をそろえて現在価値で比べると、ライセンス案は約8,745万円となり、売却案の1億円を下回った。

「この10%は、正しい割引率なの?」

高橋が尋ねた。

「今回は比較のために置いた仮定だよ。本来は、将来の収入にどの程度のリスクがあるかなどを考えて決める必要がある」

「では、8,745万円がライセンスの確定した価値というわけではない」

「もちろん。売上予測や割引率が変われば、現在価値も変わる」

森田は、計算表の売上高を指した。

「それに、相手が出してきた売上予測を、そのまま東洋テクノの予測として使ってよいかも確認しないとね」

相手企業には、ライセンス条件を有利に見せたい事情があるかもしれない。

高橋は、計算結果の上に前提を書き加えた。

相手企業が示した売上予測が実現し、年10%で割り引いた場合の試算。

計算結果だけでなく、何を前提にした数字なのかを示す必要があった。

どれだけ売れれば、ライセンスが上回るのか

「ほな、売った方がええいうことか?」

佐々木は、現在価値の計算結果を見て言った。

「ライセンスが8,745万円で、売却が1億円。数字は売却の方が上やろ」

「今の売上予測と割引率を前提にすれば、そうなります」

「やっぱり売却やな」

「ただ、相手の製品が想定以上に売れれば、結果は変わります」

高橋は、売上高がどの程度増えれば、ライセンス案の現在価値が売却代金1億円と並ぶかを試算した。

契約時の一時金は1,000万円である。

残りの9,000万円を、将来のライセンス料の現在価値で得る必要がある。

売上高が毎年同じ割合で増減すると仮定すると、5年間の売上高が合計約41億円になれば、ライセンス案の現在価値はおおむね1億円に達する。

相手企業の基準予測は35億円である。

「基準予測より二割弱多く売れれば、今の仮定では、ライセンス案の現在価値が売却案と同じくらいになります」

「それ以上売れたら、ライセンスの方が上になる」

「はい。反対に、製品化が遅れたり、売上が35億円を下回ったりすれば、差はさらに広がります」

売却では、相手企業の製品が売れるかどうかにかかわらず、原則として売却代金は変わらない。

その代わり、製品が大きく売れた場合の追加収入は得られない。

ライセンスでは、製品が売れた場合の上振れを得られる。

その代わり、売れないリスクの一部を東洋テクノも負う。

「売却とライセンスの違いは、受取方法だけではありません」

高橋は言った。

「相手の事業が成功するかどうかというリスクを、どちらが負うかも違います」

ライセンス料は、そのまま利益ではない

ライセンスを選んだ場合、東洋テクノには継続的な管理も必要になる。

特許権を保有し続けるための登録料を負担する。

相手企業から売上報告を受け、ライセンス料が正しく計算されているかを確認する。

試験データや製造条件を提供し、技術指導を行うのであれば、開発部門の人員と時間も必要になる。

「3%がそのまま東洋テクノの利益になるわけではないのか」

佐々木が尋ねた。

「はい。権利の維持、契約管理、売上確認、技術支援に費用がかかる可能性があります」

「売却なら、その負担はなくなる?」

「特許権の維持管理は、原則として買い手へ移ります。ただし、技術支援を求められるなら、その条件は売却の場合でも別に決める必要があります」

高橋は、ライセンス収入から控除すべき費用も確認項目へ加えた。

ただし、売上報告や技術支援の具体的な条件は、ライセンスを交渉する段階で決める問題だった。

まず必要なのは、三つの選択肢のうち、どれを交渉の第一案にするかを決めることだった。

「使わない」は、会社全体の答えではなかった

第10話で、佐々木は、自分の事業部では対象技術を使う予定がないと話していた。

しかし、特許権を売却すれば、その影響は会社全体に及ぶ。

第10話で残された確認事項に従い、高橋は、対象技術を全社で利用する可能性がないか、研究開発部門とほかの事業部へ照会した。

すると、別の事業部から回答があった。

その事業部では、新素材を使った製品の基礎研究を進めており、将来、今回の表面処理技術を利用する可能性があるという。

ただし、まだ研究の初期段階だった。

製品化の時期も、投資額も、将来の売上も決まっていない。

高橋は、回答を佐々木へ伝えた。

「別の事業部で、将来この技術を使う可能性があります」

「ほな、売られへんやないか」

「まだ製品化は決まっていません」

「せやけど、売った後で必要になったら困るやろ」

「そのとおりです。ただ、使うかもしれないというだけで保有を続ければ、今ある収益化の機会を逃す可能性もあります」

特許を売却すれば、将来の自社利用の機会を失うかもしれない。

一方、将来使う可能性だけを理由に保有し続ければ、現在の売却代金やライセンス収入を得る機会を失うかもしれない。

どちらを選んでも、選ばなかった案から得られたはずの利益がある。

それが機会費用だった。

一つの特許でも、使える範囲は分けられる

高橋は、黒田知財部長へ相談した。

「別の事業部で、将来この技術を使う可能性があることが分かりました。完全に売却すると、その事業部の利用に影響するかもしれません」

黒田は、対象特許の公報と、相手企業が予定している製品の資料を見比べた。

「相手企業は、産業機器の部品に使う予定だったな」

「はい。別の事業部が検討しているのは、それとは異なる分野の新素材製品です」

「それなら、利用分野を限定してライセンスする方法が考えられる」

「産業機器の部品には使わせるが、ほかの分野は東洋テクノに残すということですか」

「ああ。ライセンスする範囲は、製品、用途、地域、期間などで区切ることができる」

特許権を保有するか、手放すか。

その二つだけが選択肢ではなかった。

特許権を保有したまま、相手企業に必要な範囲だけを利用させる方法もある。

「東洋テクノ自身が使えるようにしておくこともできますか」

「契約の内容による。相手企業だけに使わせるのか、東洋テクノの自己利用を残すのかも明確にしなければならない」

「範囲を分ければ、相手企業の製品化と、東洋テクノの将来利用を両立できる可能性がある」

「ただし、曖昧な分け方はできない。どの製品がどの分野に入るのか、後で争いにならないように定める必要がある」

第10話では、何を相手へ渡すかが問題になった。

ライセンスでは、それに加えて、どこまで使わせるかを決める必要があった。

高橋が作った一枚――三つの選択肢の比較

高橋は、検討結果を一枚の表へまとめた。

比較項目 売却 ライセンス 保有継続
主な収入 売却代金 契約一時金、ランニングロイヤルティ 原則として当面の収入なし
受取時期 原則として取引時 複数年に分散 将来の利用・取引まで不明
金額の確実性 比較的高い 相手の販売実績に左右される 不確実
将来の上振れ 原則として得られない 条件により得られる 将来の活用方法による
自社利用 原則として失う 契約条件により残せる 維持できる
管理負担 譲渡後は比較的小さい 権利維持、売上確認などが必要 権利の維持管理が必要
主なリスク 安値で手放し、将来の利用機会を失う 売上未達、未回収、管理費用 未利用、陳腐化、現在の収益化機会の喪失
現時点の試算 1億円を早期に受領 受取総額1億1,500万円、現在価値約8,745万円 具体的な事業計画は未確定

一つの案が、すべての項目で優れているわけではなかった。

売却案は、早期に確定した金額を受け取れる。

ライセンス案は、将来の上振れと、自社利用の可能性を残せる。

保有継続は、将来の選択肢を最も広く残せる一方、現時点では収入を生まない。

高橋は、表の下に結論を書いた。

現在把握している情報を前提として、利用分野を限定したライセンスを第一案とする。売却案も比較対象として残し、具体的な条件を交渉する。

「ライセンスを第一案にします」

高橋は、佐々木と黒田へ検討結果を説明した。

「単純な受取総額では、ライセンス案が1億1,500万円、売却案が1億円です。ただし、ライセンス料を現在価値へ直すと、約8,745万円になります」

「数字だけなら、売却の方が上やな」

佐々木が言った。

「相手企業の売上予測と、年10%という仮の割引率を前提にすれば、そうなります。ただし、売上が基準予測を上回れば、ライセンス案の価値も上がります」

「下回れば、逆やな」

「はい。ライセンスでは将来の上振れを得られる代わりに、売れないリスクの一部も東洋テクノが負います」

高橋は、別の事業部における利用可能性も説明した。

「完全に売却すると、別の事業部が将来この技術を使う際に制約を受ける可能性があります」

「今すぐ使うわけではないんやろ」

「まだ基礎研究の段階です。ただ、相手企業が必要とする産業機器の分野に限定してライセンスすれば、それ以外の分野で東洋テクノが利用できる可能性を残せます」

黒田が続けた。

「どこまで相手に使わせ、どこを東洋テクノに残すかは、契約で定める必要がある」

佐々木は、しばらく比較表を眺めていた。

「ほな、売る話は断るんか?」

「いいえ。売却案も比較対象として残します。ただ、現時点では、東洋テクノの将来利用を残せるライセンスを第一案として、先方と交渉するのがよいと思います」

「向こうが出してきた3%でええんか?」

「まだ決められません。料率だけでなく、契約時に受け取る一時金、最低限支払ってもらう金額、利用できる分野や期間などを組み合わせて判断する必要があります」

「売れへんかったときの条件もいるわけやな」

「はい。将来の売上が不確実だからこそ、契約条件でリスクを調整する必要があります」

佐々木はうなずいた。

「分かった。ライセンスを中心に話してみよか」

取引形態について、東洋テクノの方針は決まった。

しかし、ライセンスという言葉だけでは、相手に何を認めるのかは決まらない。

「独占で使わせてほしい」

その日の夕方、相手企業から返答が届いた。

相手企業からのメール

ライセンスによる協議には応じる。

ただし、対象となる産業機器の分野では、ほかの企業へ同じ特許の利用を認めないことを条件としたい。

メールには、そう書かれていた。

「独占で使わせてほしいいうことか」

佐々木が言った。

「はい。相手企業としては、費用をかけて製品化する以上、競合企業にも同じ技術を使われることは避けたいのだと思います」

「独占で貸したら、売るんと何が違うんや?」

高橋は、画面に表示されたメールを読み直した。

特許権を保有したままでも、広い範囲で相手だけに利用を認めれば、東洋テクノが残せる選択肢は小さくなる。

東洋テクノ自身は使えるのか。

相手企業が製品化しなかった場合にも、独占状態を続けるのか。

独占を認めるなら、その対価をどのように決めるのか。

ライセンスを選ぶという方針は決まった。

次に必要なのは、そのライセンスの中身を決めることだった。

今回のポイント

  • 選択肢の違い:特許の売却、ライセンス、保有継続では、収入、リスク、将来の選択肢が異なります。
  • 現在価値での比較:現在受け取る売却代金と、将来にわたって受け取るライセンス料は、受取時期をそろえて比較します。
  • 前提の明示:ライセンス料の現在価値は、売上予測や割引率などの前提によって変わるため、前提とともに示します。
  • リスクの重複:売上シナリオと割引率の双方へ、同じリスクを重複して反映しないよう注意します。
  • 売却とライセンス:売却は早期に確定した代金を得る代わりに将来の上振れを手放し、ライセンスは上振れを得られる代わりに売上未達や未回収のリスクを負います。
  • 保有継続:保有継続は将来の自社利用を残せますが、現在の収益化機会を失う可能性があります。
  • 利用範囲の設計:製品、用途、地域、期間などで利用範囲を分ければ、外部利用と自社利用を両立できる場合があります。

次回予告

第12話 独占で貸すと、売るのと同じ?

売却、ライセンス、保有継続を比較し、利用分野を限定したライセンスを第一案として交渉することにした東洋テクノ。

しかし、相手企業は、対象分野で特許を独占的に利用する権利を求めてきます。

「独占で貸したら、売るんと何が違うんや?」

独占か、非独占か。

東洋テクノ自身の利用を残すのか。

どの製品、地域、期間まで利用を認めるのか。

契約一時金、ランニングロイヤルティ、最低保証をどう組み合わせるのか。

試験データ、技術支援、改良技術、売上報告、監査権をどう定めるのか。

特許取引を成立させるための、具体的な条件交渉が始まります。

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