ストーリーで学ぶ 知財担当者のためのファイナンス

第4話/全15話

強い特許を持つ事業は、本当に儲かっているのか

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※本連載は、知財担当者が会計・ファイナンスを学んでいく過程を描いた架空の物語です。

「A事業の競争力を支える特許群」

高橋悠真は、前日に作成した資料を黒田部長へ差し出した。

東洋テクノが保有する約400件の特許を事業ごとに分け、権利範囲、残存期間、外国での権利取得、被引用数、代替技術の有無、競合他社による回避の難しさなどを整理した資料だった。

社内で比較するために設けた評価点では、A事業に関係する特許群が最も高かった。

高橋は資料の結論に、こう書いた。

「A事業の競争力を支える、当社で最も重要な特許群である」

黒田は、その一文を指でなぞった。

「『競争力を支える』と書いた根拠は何だ」

「権利範囲が広く、競合も簡単には回避できません。主要国でも権利を取得しています。知財部としては、強い特許群だと評価できます」

「そこまでは分かる」

黒田は次のページをめくった。

「では、A事業は、この会社で最も儲かっている事業なのか」

高橋は少し考えた。

A事業は東洋テクノの主力事業であり、売上高も大きい。強い特許群がその事業を守っているのなら、会社の利益にも大きく貢献しているはずだ。

「そうだと思います」

「思います、か」

黒田は穏やかに聞き返した。

「この特許が、どの製品の、どの売上や利益につながっているかは確認したのか」

高橋は答えられなかった。

資料には、特許の権利範囲や残存期間は書かれている。しかし、その特許がいくらの売上を生み、どれだけの利益を支えているのかは書かれていない。

「確認してきます」

高橋は、自分で書いた「競争力を支える」という一文を見直した。

それは知財部の資料だけで言い切ってよい言葉なのだろうか。

売上が最大なら、会社への貢献も最大なのか

経理部で事情を説明すると、森田美咲は事業別の業績資料を開いた。

「まず、高橋は何を確かめたいの?」

「A事業の特許が、会社の利益にどれだけ貢献しているか」

「では、A事業の数字を見てみようか」

A事業の売上高は120億円だった。東洋テクノの中でも最大級である。

「やっぱり大きいな」

「営業利益は6億円」

「6億円なら、かなり利益も出ているんじゃないか」

森田は、隣に営業利益率を書き加えた。

「営業利益率は5%。売上高に対して、営業利益がどれだけ残ったかを見る割合ね」

続いて、B事業の数字を表示した。

B事業の売上高は70億円、営業利益は7億円だった。営業利益率は10%である。

「売上はA事業の方が大きいのに、営業利益はB事業の方が多いのか」

「そういうこと。売上高が大きいことと、利益率が高いことは同じではないから」

「でも、A事業には強い特許がたくさんある」

「その特許が、A事業の商売にどう作用しているのかを確認しないと、数字との関係は分からないよ」

森田はA事業の欄を指した。

「私は数字なら説明できる。でも、なぜこの売上と利益になっているのかは、事業部に聞いた方がいい」

「お客さんは、特許の数に金を払うんやない」

A事業の会議室では、A事業部の佐々木健司が営業担当者との打合せを終えたところだった。

佐々木はA事業部で事業企画を担当しており、高橋とは社内のフットサルサークルで数年前から一緒にプレーしている。部署は違うが、高橋が仕事の相談を気軽に持ち込める相手だった。

高橋が特許評価表と事業別の数字を並べると、佐々木は面白そうに資料を見比べた。

「A事業の特許は、社内で最も高い評価になりました。ただ、B事業より利益率が低い理由が分からないんです」

「それで、特許と利益の関係を調べに来たんか」

「はい。A事業には強い特許があるのに、どうしてもっと高い利益率にならないのでしょうか」

佐々木は笑った。

「高橋君、お客さんは特許の数に金を払うんやないで」

「でも、この特許があるから、競合は同じ構造の製品を作れません」

「それは役に立っとる。競合が同じものを出しにくいから、長く取引を続けてもらえている面もある。特許がなかったら、もっと激しい価格競争になっていたかもしれん」

佐々木は、A事業の顧客一覧を開いた。

売上の多くを、数社の大口顧客が占めている。

「ただな、大口の顧客は簡単には離れへん代わりに、こっちも簡単には値上げできへん。材料費が上がったからいうて、全部を販売価格へ乗せられるわけやない」

A事業の製品は、顧客ごとに仕様を変更して納入していた。販売後の調整や保守にも人手がかかる。

製造には専用設備が必要で、短納期の注文へ対応するため一定量の在庫も保有している。

「売上は大きい。でも、作るにも、在庫を持つにも、納めた後の面倒を見るにも金がかかるんや」

「特許で製品を守ることと、高い価格で売れることは別なんですね」

「まったく別というわけでもない。特許があるから取引を守れている部分はある。けど、特許が強ければ、自動的に値段も利益も上がるわけやない」

佐々木は、特許評価表の92点という数字を指した。

「この92点は、うちの製品が92点分儲かる、いう数字やないんやろ」

「はい。社内で特許の特徴を比較するための点数です。経済的価値の金額ではありません」

「ほな、その点数から先を調べなあかんな。その特許で何を守れて、誰が喜んで、商売のどの数字が変わるんか。そこまで分かって、初めて経営に説明できるんと違うか」

高橋は、特許評価表の余白に佐々木の言葉を書き留めた。

利益を生むために使っているもの

高橋は経理部へ戻り、佐々木から聞いた内容を森田に話した。

「A事業では、特許が競合の参入を防いでいるかもしれない。でも、大口顧客に対する価格交渉力が強いわけではない。専用設備や在庫も必要で、保守にも費用がかかっている」

「だいぶ事業の姿が見えてきたね」

森田は、先ほどの資料に「投下資本」という項目を追加した。

「利益だけでなく、その利益を生み出すために、どれだけの資本を使っているかも見てみよう」

「投下資本?」

「工場の設備、在庫、売掛金など、その事業を運営するために投じている資本のこと。A事業は専用設備が多くて、在庫や売掛金も大きいから、投下資本が100億円ある」

B事業の投下資本は35億円だった。

「A事業は、事業を続けるためにB事業より多くの資本を使っているんだな」

「その資本から、どれくらいの利益を生み出したかを見る代表的な指標がROIC」

森田はノートに式を書いた。

ROIC=税引後営業利益÷投下資本

「アールオーアイシー。投下資本利益率ね」

「利益を投下資本で割るのか」

「そう。細かな計算方法は会社によって違うことがあるけれど、ここでは、事業に使っている資本と、そこから生まれた利益を対応させる指標だと考えればいいよ」

二人は、事業別の数字を一つの表にまとめた。

項目 A事業 B事業
重要特許数 48件 14件
知財部の社内評価 92点 68点
売上高 120億円 70億円
営業利益 6億円 7億円
営業利益率 5% 10%
税引後営業利益 4.2億円 4.9億円
投下資本 100億円 35億円
ROIC 4.2% 14.0%

「この税引後営業利益は、説明を分かりやすくするため、営業利益に一定の税率を掛けた社内管理上の数字ね」

A事業は、100億円の投下資本から4.2億円の税引後営業利益を生み出している。ROICは4.2%である。

B事業は、35億円の投下資本から4.9億円を生み出している。ROICは14.0%だった。

「特許数も評価点も売上高も、A事業の方が大きい。でも、利益率とROICはB事業の方が高い」

高橋は表を見つめた。

「特許の評価が高い事業ほど、資本を効率よく使っているとは限らないんだ」

「この二つの事業を見る限りでは、そうだね。ただし、ROICの高低だけで、事業や特許の良し悪しを決めることもできないよ」

A事業が将来の成長に向けて設備投資を行った直後なら、現在は投下資本が先に増え、利益がまだ追いついていない可能性がある。

また、ROICが会社の求める収益水準を上回っているかを判断するには、資本コストなどとの比較も必要になる。

「一つの年度の数字だけを見て、結論を出したら駄目ということか」

「そう。数字は答えそのものではなくて、次に何を調べるかを教えてくれるものだから」

B事業は、なぜ少ない特許で稼げるのか

高橋は、B事業についても調べてみた。

B事業の特許数は14件で、知財部の社内評価もA事業ほど高くない。しかし、その中の一つは、顧客の製造工程を大幅に短縮する機能を保護していた。

顧客はその製品を使うことで、作業時間と不良品を減らすことができる。

その効果が明確なため、東洋テクノは一定の価格を維持できていた。製品の種類も絞られており、A事業ほど大規模な専用設備や在庫を必要としない。

特許の数は少なくても、顧客の便益から販売価格、利益、投下資本までのつながりが見えやすかった。

一方、A事業の特許群は、競合の参入を防ぎ、既存の売上を守っている可能性がある。しかし、多数の特許のうち、どの特許が、どの顧客価値や利益に結びついているかは整理されていなかった。

高橋は気づいた。

問題は、A事業の特許が弱いことではない。

知財部が「強い」と評価した特許と、事業部が実際に稼ぐ仕組みとの間が、まだつながっていないことだった。

「この特許がなかったら」を考える

翌日、高橋は再び黒田に途中経過を報告した。

「A事業のROICは、B事業より低いことが分かりました。ただ、それだけでA事業の特許に価値がないとは言えません」

「なぜだ」

「A事業の特許があることで、競合の参入を防ぎ、既存顧客との取引を維持できている可能性があるからです。現在の利益を増やしているというより、利益の減少を防いでいるのかもしれません」

「なるほど。では、その効果はどうやって確かめる」

高橋は少し考えてから答えた。

「この特許がなかったら、事業の数字がどう変わるかを考えます」

特許がなければ、競合製品が参入するのか。

販売価格を下げざるを得ないのか。

顧客や市場シェアを失うのか。

別の技術へ切り替えるため、新しい設備や追加の開発費が必要になるのか。

他社から特許のライセンスを受ける必要があるのか。

「現在の売上や利益を見るだけではなく、特許がある場合と、ない場合を比べるということか」

「はい。その差が、特許の事業への寄与を考える手掛かりになると思います」

もっとも、特許以外にも、ブランド、営業力、製造ノウハウ、品質管理、顧客との関係などが事業の利益を支えている。

数字の差をすべて特許の効果と考えることはできない。

それでも、「特許がなかったら何が変わるのか」と問うことで、特許から事業収益へ至る道筋を具体的に検討できる。

特許から利益までの道筋

高橋は、特許評価表の横に新しい確認項目を加えた。

最初に確認するのは、特許が保護している技術や機能である。

次に、その技術や機能が、顧客にどのような便益を与えているかを調べる。

性能が向上するのか。

製造時間が短くなるのか。

故障や不良品が減るのか。

安全性が高まるのか。

顧客が新しい製品を作れるようになるのか。

その便益が評価されれば、販売価格、販売数量、契約の継続率などへ影響する可能性がある。

一方、特許技術を実施するために高価な設備や材料が必要なら、原価や投下資本は増える。顧客ごとの仕様変更や保守対応が必要なら、売上が増えても利益率は高くならないことがある。

広い権利を保有していても、顧客が必要としていない機能なら、価格へ反映するのは難しい。別の方法で同じ目的を達成できるなら、特許が一つの技術を保護していても、顧客の選択肢をなくすことはできない。

高橋は、確認の順序を整理した。

  1. 特許が保護している技術・機能
  2. その技術・機能が生む顧客の便益
  3. 販売価格・販売数量・契約継続への影響
  4. 製造原価・保守費用・開発費への影響
  5. 設備・在庫・売掛金など投下資本への影響
  6. 競合参入・代替技術・侵害などのリスク
  7. 特許がなかった場合に想定される変化
  8. 売上・利益・キャッシュフロー・ROICへの結果

知財部が調べてきた権利範囲や残存期間は、この分析の出発点になる。

しかし、そこで止まってしまえば、経営が知りたい企業価値の話には届かない。

高橋が作った一枚

高橋は、黒田と佐々木へ説明するため、一枚の表を作った。

知財と事業収益をつなぐ確認表

知財の確認 事業への作用 財務への影響 特許がなかった場合
権利範囲・回避困難性 競合製品の参入を防ぐ 販売数量・市場シェア 競合参入や価格競争が起きるか
顧客に必要な機能の保護 顧客の課題を解決する 価格・利益率 値下げや顧客流出が起きるか
製造技術の保護 生産効率を維持する 原価・利益 原価や不良率が上がるか
特許の残存期間 優位性を維持できる期間を左右する 将来利益・キャッシュフロー いつ競争条件が変わるか
ライセンス可能性 自社実施以外の活用機会を生む ロイヤルティ収入 収益機会を失うか
技術と専用設備の関係 必要な設備投資を左右する 投下資本・ROIC 代替技術への追加投資が必要か

表を埋めるには、知財部の情報だけでは足りない。

事業部、営業部、開発部、製造部、経理部から情報を集め、実際にどのような作用が生じているのかを確かめる必要がある。

高橋は、表の最後に結論を書いた。

「特許の強さは、事業収益へ貢献する可能性を示す。ただし、その貢献を判断するには、特許から顧客価値、価格、販売数量、コスト、投下資本へ至る道筋と、特許がなかった場合に生じる変化を確認する必要がある」

知財部の評価は、企業価値までの出発点

完成した資料を見て、黒田はうなずいた。

「知財部の特許評価が間違っていたわけではない。しかし、それだけでは企業価値への貢献までは説明できないということだな」

「はい。権利範囲、残存期間、代替技術、回避の難しさを確認することは必要です。でも、それは出発点です」

「その先に、顧客と商売と数字がある」

「特許が何を守り、それが顧客の便益へどうつながり、価格、数量、コスト、投下資本をどう変えるのか。そこまで確認して、初めて事業への貢献を説明できます」

黒田は、高橋が最初に書いた一文を指した。

「A事業の競争力を支える、当社で最も重要な特許群である」

「この結論は、どう直す」

高橋は少し考えてから、文章を書き換えた。

「A事業の製品を法的・技術的に保護する重要な特許群である。事業収益への貢献については、顧客価値、価格、コスト及び投下資本への影響を、事業部門と共同で確認する必要がある」

「今なら、こちらの方が正確です」

高橋は、特許の点数をつけることが、知財部の仕事の終点ではないと理解した。

特許と企業価値の間には、顧客、製品、価格、コスト、投資、リスクがある。

その間をつなぐことが、経営から求められている知財部の役割なのかもしれない。

今回のポイント

  • 特許の強さと収益性:特許数や社内評価が高い事業ほど、必ず収益性も高いとは限りません。
  • 法的な強さと経済的貢献:特許の法的・技術的な強さと、事業への経済的な貢献は区別して考えます。
  • 売上と利益率:売上高が大きいことと、利益率が高いことは同じではありません。
  • 利益と投下資本:事業の成果を見るときは、利益だけでなく、その利益を生むために使った投下資本も確認します。
  • ROICの役割:ROICは投下資本からどれだけの利益を生み出したかを見る指標ですが、その高低だけで事業や特許の良否は決められません。
  • 特許がなかった場合:特許の貢献を考えるときは、その特許がなければ売上、価格、利益率、競合参入がどう変わるかを検討します。
  • 関係部門との連携:知財を企業価値へつなげるには、知財部だけでなく、事業、営業、開発、製造、経理などの情報が必要です。

次回予告

高橋が作成した「知財と事業収益をつなぐ確認表」は、黒田部長から社長へ提出され、経営会議の資料にも添付された。

その翌日、黒田知財部長は高橋を呼び、買収候補会社の知財調査を担当するよう命じました。

依頼元は、経営企画部の神谷亮介です。

事業計画や買収価格との関係も確認しようとする高橋に、神谷はこう言います。

「知財の皆さんは、M&Aや企業価値までは分からないでしょう。特許だけ調べてもらえれば結構です」

「特許だけ調べてください」

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