中小企業の経営者から、「当社には特許も有名なブランドもないので、知財や無形資産といわれても関係がない」という話を聞くことがあります。
しかし、顧客がその会社を選び、取引を続けている以上、そこには何らかの理由があります。
長年蓄積した加工技術、熟練者の判断、顧客ごとの細かな要望に対応する力、短納期、品質への信頼、仕入先との関係、営業担当者の提案力などです。
これらは貸借対照表に表示されないことが多く、経営者自身にとっても当たり前になっているため、企業の強みとして認識されていない場合があります。
知財・無形資産の棚卸しで重要なのは、難しい資産分類から始めることではありません。
まず、顧客が自社を選ぶ理由と、その理由を支えている経営資源を明らかにすることです。
中小企業にも知的資産経営の公的な指針がある
中小企業の見えない強みを把握し、経営に生かす考え方は、最近になって突然生まれたものではありません。
経済産業省は「中小企業のための知的資産経営実践の指針」を公表し、企業に固有の知的資産を認識し、それを活用して持続的な利益につなげる考え方を示しています。
また、中小企業基盤整備機構の「事業価値を高める経営レポート(知的資産経営報告書)作成マニュアル」では、内部環境と外部環境を整理し、将来の経営方針や価値創造の流れを説明する方法が示されています。
特許庁の「知財経営プランニングブック」も、知的財産を権利の取得や管理だけで捉えず、経営課題や事業戦略と結びつけて検討する考え方を示しています。
これらに共通するのは、知的資産を数多く列挙することが目的ではないという点です。
自社の強みがどのように事業で使われ、顧客に価値を提供し、将来の経営につながるかを整理することが重要です。
本記事では、この考え方を基礎としながら、中小企業が実務で取り組みやすいように、顧客から逆算する方法を採ります。
資産の名前ではなく「顧客が選ぶ理由」から始める
最初から「当社の無形資産は何か」と尋ねても、答えが出ないことがあります。
そこで、次のような質問から始めます。
- 顧客は、価格以外のどのような理由で自社を選んでいるか
- 長期間取引が続いている顧客は、自社の何を評価しているか
- 競合企業では対応しにくい注文は何か
- 顧客から繰り返し相談されることは何か
- 値上げしても取引が続いた商品やサービスはあるか
- 納期、品質、不具合対応などで評価されている点は何か
例えば、「短納期に対応できる」という強みがあるとします。
しかし、短納期という結果だけを記録しても、経営資源の棚卸しにはなりません。その短納期を可能にしているものを分解する必要があります。
熟練者の工程設計、設備の配置、生産管理の仕組み、協力会社との関係、過去の受注データなどが組み合わさっているかもしれません。
このように、顧客に選ばれる理由から遡ることで、事業で実際に使われている知財・無形資産が見えてきます。
見えない強みを三つの層に分ける
抽出した強みは、次の三つの層に分けると整理しやすくなります。
| 層 | 主な内容 | 例 |
|---|---|---|
| 権利・情報 | 法的に保護される権利や、管理された情報 | 特許、商標、意匠、著作物、営業秘密、設計データ |
| 人・組織 | 人材や組織に蓄積された能力 | 熟練技能、開発力、提案力、品質管理、企業文化 |
| 関係・信用 | 社外との関係や市場からの評価 | 顧客基盤、仕入先網、販売網、ブランド、取引実績 |
実際の競争力は、一つの資産だけで生まれるとは限りません。
例えば、独自技術があっても、それを使いこなす人材や品質管理の仕組みがなければ、安定した製品供給はできません。優良な顧客基盤があっても、担当者個人だけに関係が集中していれば、退職によって失われる可能性があります。
したがって、個々の資産だけでなく、複数の資産がどのように組み合わさっているかを確認します。
強みを「価値創造の流れ」で確認する
棚卸しによって見つかった強みは、次の流れで整理します。
見えない強み
→ 事業での活用
→ 顧客に選ばれる理由
→ 売上・利益率・成長・リスク低減
→ 将来の収益力
例えば、熟練者の加工ノウハウがある場合でも、それだけで企業価値が高まるわけではありません。
そのノウハウによって不良率が下がり、高精度の製品を安定供給できるため、顧客から選ばれているのであれば、返品や手直しの減少、販売数量の維持、利益率の改善などにつながります。
一方、長年保有している技術であっても、現在の商品に使われず、顧客の選択にも影響していないのであれば、少なくとも現在の事業への貢献は限定的です。
公的な知的資産経営のガイダンスでは、企業の強み、経営方針、将来像を結ぶ「価値創造ストーリー」を整理します。
本記事では、それをさらに実務的にし、強みと売上や利益との間にある因果関係を一段ずつ確認します。
棚卸しは経営者だけで行わない
経営者が考えている自社の強みと、顧客や現場が評価している強みが一致するとは限りません。
経営者は技術力が強みだと考えていても、顧客は「困ったときにすぐ対応してくれること」を評価しているかもしれません。
反対に、現場では日常業務として扱われている工夫が、競合企業には容易に再現できない場合もあります。
棚卸しでは、経営者だけでなく、次の人から情報を集めることが有効です。
- 営業担当者
- 製造・開発担当者
- 品質管理担当者
- 長期間勤務している従業員
- 主要な顧客や取引先
社内の認識と社外の評価を照合することで、思い込みによる過大評価や重要な強みの見落としを減らせます。
強みには「失われるリスク」がある
見えない強みを発見したら、それが失われる可能性も確認します。
特に中小企業では、重要な技術、顧客関係、判断基準などが特定の経営者や従業員に集中していることがあります。
| 強み | 主なリスク | 対応の例 |
|---|---|---|
| 熟練者の技術 | 退職や病気による喪失 | 手順化、動画化、後継者育成 |
| 顧客との関係 | 担当者退職による取引減少 | 複数担当制、顧客情報の共有 |
| ノウハウ | 退職者や取引先を通じた流出 | 秘密管理、契約、アクセス制限 |
| ブランド | 品質事故や表示の不統一 | 品質管理、商標管理 |
| データ | 消失、不正利用、属人化 | バックアップ、権限管理、利用ルール |
棚卸しは、強みを称賛するためだけの作業ではありません。
どの強みが失われると事業に大きな影響が生じるかを確認し、優先的に保護・承継するための作業でもあります。
現在の強みだけでなく、将来必要な強みを逆算する
一般的な棚卸しでは、現在保有している知的資産を把握し、それを今後の経営にどう生かすかを検討します。
さらに発展した取組では、将来実現したい事業から、今後必要になる知財・無形資産を逆算します。
例えば、既存の受託加工から自社製品事業へ進む場合、現在の加工技術だけでは足りない可能性があります。
商品企画、ブランド、販売網、顧客データ、アフターサービス、外部企業との契約など、新たな経営資源が必要になります。
将来の事業に必要であるにもかかわらず、現在保有していない資産が分かれば、次の対応を検討できます。
- 社内で育成する
- 採用によって獲得する
- 他社と提携する
- 技術や権利を購入する
- M&Aによって取得する
この段階まで進むと、棚卸しは過去と現在の整理ではなく、将来に向けた投資計画になります。
棚卸し結果を事業計画に組み込む
棚卸しの結果は、独立した「知財一覧」にして終わらせず、事業計画と対応させます。
| 事業上の目的 | 活用する強み | 確認する指標 |
|---|---|---|
| 既存顧客の維持 | 品質、対応力、顧客関係 | 継続率、解約率、クレーム件数 |
| 高付加価値商品の拡大 | 技術、ノウハウ、ブランド | 販売単価、粗利益率、売上構成 |
| 生産性の向上 | 工程ノウハウ、データ、組織力 | 不良率、作業時間、納期 |
| 新規事業への進出 | 開発力、外部連携、人材 | 開発期間、新規顧客数、新商品売上 |
| 技術流出の防止 | 営業秘密、契約、情報管理 | 教育実施率、管理対象情報、事故件数 |
こうして事業目標、強み、行動、指標を結びつけることで、見えない資産への投資が事業計画の一部になります。
すべての強みを金額評価する必要はない
知財・無形資産の棚卸しと金額評価は別の作業です。
経営改善を目的とする場合、まず必要なのは、重要な強みと事業成果との関係を明らかにすることです。すべての強みを金額に換算する必要はありません。
一方、次のような場面では、金額評価が必要になることがあります。
- 技術、特許、商標などの売買
- ライセンス条件の検討
- 融資や投資の判断
- M&AやPPA
- 組織再編や関係会社間の移転
- 訴訟や損害額の検討
この場合には、棚卸しで明らかにした強みのうち、評価目的に関係する資産を特定し、その資産が生み出す将来の経済的利益を検討します。
まとめ――棚卸しを将来への投資につなげる
中小企業の見えない強みは、特許や商標だけではありません。
技術、ノウハウ、人材、組織力、顧客関係、仕入先とのネットワーク、信用など、事業を支えている幅広い経営資源が対象になります。
棚卸しでは、資産の名前を数多く挙げるのではなく、顧客が自社を選ぶ理由から、その理由を支える資産へ遡ります。
次に、その強みがどの事業で使われ、どのような顧客価値を生み、売上、利益率、成長、リスク低減に結びついているかを確認します。
さらに発展した取組では、将来実現したい事業から必要な知財・無形資産を逆算し、育成、採用、提携、取得などの投資計画につなげます。
棚卸しの目的は、過去に蓄積した強みを一覧にすることではありません。
現在の収益を支えているものと、将来の事業に必要なものを明らかにし、限られた経営資源をどこに配分するかを判断できるようにすることです。
知的財産権価値算定研究所では、知財・無形資産と事業収益の関係を整理し、売却、ライセンス、融資、投資判断、M&A、組織再編などで金額による説明が必要な場合には、評価目的と対象範囲に応じた価値評価を行います。
詳しくは「評価業務について」および「料金・納期・ご依頼の流れ」をご確認ください。