ストーリーで学ぶ 知財担当者のためのファイナンス

第7話/全15話

5年後の売上を、どう信じるのか

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※本連載は、知財担当者が会計・ファイナンスを学んでいく過程を描いた架空の物語です。

まだ存在しない45億円

「その5年後の売上は、どのように確かめるのでしょうか」

第6話の打合せで高橋が尋ねると、神谷は少し間を置いてから答えた。

「それを検証するのが、このM&Aプロジェクトの重要な仕事です」

神谷は、北斗マテリアルから提出された5年間の事業計画を画面に表示した。

現在の売上高は約30億円。計画では毎年売上が増え、5年目には約45億円になる。

高橋は、実績を示す列と、将来の計画を示す列の境目を見た。

境目から右側に並んでいるのは、まだ実現していない数字だった。

「どこまでが、既に決まっている売上なのですか」

「既に受注している案件も一部にはあります。しかし、5年目の売上の大部分は、これから獲得する予定のものです」

「まだ売れていない製品の売上も、企業価値の計算に使うのですね」

「会社を買うのは、過去の利益だけを手に入れるためではありません。買収後にその事業が生み出す収益を見込んで、現在の価値を考えます」

高橋は、画面の数字を見直した。

事業価値50億円という現在の数字を支えているのは、5年後の売上45億円を含む将来の計画だった。

売上計画を分解する

「この45億円は、どうやって計算したのですか」

神谷は、製品別の販売計画を表示した。

「売上高の基本は、販売数量と販売単価です」

売上高=販売数量×販売単価

「販売数量を増やすには、市場全体が成長するか、その市場でシェアを伸ばす必要があります。販売単価を維持するなら、顧客がその価格を払う理由が必要です」

画面には、既存製品、新製品、国内販売、海外販売が分けて記載されていた。

5年間の売上増加は、一つの理由で説明されているわけではなかった。

既存製品については、主要顧客との取引継続が見込まれている。

新製品については、2年目から販売が始まり、3年目以降に数量が大きく増える計画になっている。

海外では、新しい顧客を獲得しながら販売地域を広げることになっていた。

「売上が毎年増えるという一つの数字に見えますが、中身は違うのですね」

「そうです。市場の成長、販売数量、販売単価、新製品の投入、新規顧客の獲得。それぞれ別の前提です」

5年目の売上45億円を信じてよいか。

その問いに答えるには、45億円という結果を見るだけでは足りない。

数字を構成する前提まで分解する必要があった。

売上は、そのままキャッシュにならない

高橋は、同じM&Aプロジェクトに参加している森田に資料を示した。

「この売上計画が実現すれば、企業価値もその分だけ高くなるのかな」

森田は首を横に振った。

「売上が増えれば、必ず同じだけ企業価値が増えるわけではないよ。DCFで基礎にするのは、最終的に事業から生み出される将来のキャッシュ・フローだから」

「第2話で聞いた、利益と現金は同じではないという話か」

「そう。売上が増えても、原材料費や人件費が増える。在庫を先に用意する必要があるかもしれないし、売掛金を回収するまで時間がかかるかもしれない。生産量を増やすために、新しい設備も必要になるかもしれない」

森田は、事業計画の別のページを開いた。

そこには、売上高だけでなく、原材料費、人件費、税金、設備投資、売掛金、在庫などの計画が並んでいた。

「売上を増やすために多額の設備投資が必要なら、その分だけ先にキャッシュが出ていく。売上が増えても、売掛金や在庫が増えれば、すぐに使える現金は増えない」

「売上計画は、将来キャッシュ・フローを考える出発点にすぎないんだね」

「そういうこと。売上の大きさだけでなく、その売上からどれだけのキャッシュを残せるかが重要なの」

高橋は、事業計画から将来キャッシュ・フローまでの流れをノートに整理した。

事業計画の項目 キャッシュ・フローとの関係
売上高 キャッシュを生み出す出発点
原材料費・人件費など 売上を得るために必要な支出
税金 利益に応じて生じる支出
設備投資 生産を維持・拡大するための支出
運転資金 売掛金や在庫の増加による資金負担
将来キャッシュ・フロー 最終的に事業から得られる資金

第2話で学んだ「利益と現金は同じではない」という話が、今度は事業価値50億円の計算につながった。

過去の計画は、当たっていたのか

高橋は神谷に尋ねた。

「北斗マテリアルが作った計画を、そのまま事業価値の計算に使っているのですか」

「そのまま使うわけではありません」

神谷は、過去3年間の計画と実績を並べた資料を表示した。

北斗マテリアルの売上は増えていた。

ただし、当初の計画と比べると、実績が下回っている年度があった。特に新製品の売上は、計画していた時期より遅れていた。

「過去に計画を達成できなかったなら、今回の計画も信用できないということですか」

「そこまで単純ではありません。重要なのは、なぜ達成できなかったのかです」

神谷は、計画と実績の差が大きい年度を指した。

「市場が想定ほど伸びなかったのか。製品の発売が遅れたのか。顧客との交渉に時間がかかったのか。一時的な問題なのか、これからも続く問題なのか。それを確認します」

将来の計画を、最初から正しいと決めるわけではない。

反対に、まだ実現していないという理由だけで否定するわけでもない。

前提を分解し、その根拠を確認する。

高橋は、「事業計画を検証する」という言葉の意味を少しずつ理解していった。

「特許による参入障壁」

市場、顧客、販売数量、販売単価は事業部が確認する。

事業計画と企業価値は経営企画部が検討する。

高橋に求められているのは、北斗マテリアルが保有する約30件の特許について、権利者、存続期間、対象国などを確認することだった。

第5話で神谷から示された役割分担は、まだ変わっていない。

高橋は、事業計画の中から、知財調査に関係しそうな記載を探した。

新製品の販売計画には、次のように書かれていた。

事業計画の記載

「独自の表面処理技術により、競合製品より高い性能を実現する」

販売単価の前提には、こう記載されていた。

事業計画の記載

「特許による参入障壁を背景として、高い販売価格を維持する」

さらに、海外市場の売上計画では、独自技術を活用して販売地域を拡大することになっていた。

高橋は「特許による参入障壁」という言葉に目を止めた。

事業計画では、特許や独自技術があるから、新製品が売れる。高い価格を維持できる。競合他社も容易には参入できないという前提が置かれている。

しかし、特許を保有しているという事実だけで、そこまで言えるのだろうか。

知財部は、どこまで確認するのか

高橋は、神谷に事業計画の該当箇所を示した。

「ここには、特許による参入障壁を背景として、高い販売価格を維持すると書かれています」

「それが、どうかしましたか」

「この特許が、本当に計画対象の製品を守っているのかを確認する必要はありませんか」

神谷は画面へ目を移した。

「市場や販売数量は、事業部が確認します。事業計画と企業価値は、経営企画部で検討します」

「分かっています。ただ、事業計画が特許を売上成長の理由にしているなら、どの特許を指しているのか。その特許が対象製品とどう関係しているのかは、知財部でなければ確認できません」

神谷は少し考えた。

「高橋さんに事業計画を評価してもらうわけではありません」

「はい」

「買収価格を検討してもらうわけでもありません」

「分かっています」

「その計画が前提としている特許について、事実関係を整理してください。市場や販売計画の評価はこちらで行います」

神谷の線引きは変わっていなかった。

それでも、「特許だけ調べてください」と言って話を終わらせることはなかった。

知財部の仕事と事業計画の間に、細い接点が生まれていた。

5年間、競争力は続くのか

高橋は、約30件の特許一覧と5年間の事業計画を並べた。

まず、事業計画が「特許による参入障壁」を前提としている製品を特定する。

次に、その製品へ使われている特許を確認する。

対象国、権利範囲、残存期間も調べる。

海外で売上を伸ばす計画なのに、その国で特許を取得していなければ、国内特許だけで海外の競争力を説明することはできない。

5年間、高い販売価格を維持する計画なら、その期間中に特許が存続しているかも確認する必要がある。

特許が存続していても、競合他社が別の方法で同じ性能を実現できるなら、参入障壁としての効果は限られるかもしれない。

さらに、競争力の源泉が特許だけとは限らなかった。

製造条件や材料の配合など、特許明細書に記載されていないノウハウが重要かもしれない。特定の技術者がいなければ、同じ品質を維持できない可能性もある。

高橋は、事業計画の前提が妥当かどうか、まだ確かめられていなかった。

ただ、特許一覧だけを見ていたときには気づかなかった疑問が、事業計画と並べることで次々に現れた。

5年後の売上を、そのまま信じることはできない。

一方で、まだ存在しない売上だからといって、すべて否定することもできない。

その数字を支える前提を明らかにし、確認できる事実を積み重ねる。

それが、将来の計画を検証するということだった。

高橋が作った一枚――5年後の売上を支える前提

高橋は、事業計画と知財調査の関係を一枚にまとめた。

事業計画の前提 主に確認する部門 知財部が確認できること
市場が成長する 事業部・経営企画部 原則として直接の担当外
販売数量が増える 事業部 製品と対象特許の関係
高い販売価格を維持できる 事業部 独自性を支える権利・ノウハウ
競合他社が参入しにくい 事業部・知財部 権利範囲、対象国、回避可能性
新製品を予定どおり発売する 事業部 権利化の状況、他社権利、技術への依存
競争力が5年間続く 各部門 特許の残存期間、代替技術、ノウハウ

知財部が事業計画を作るわけではない。

将来の販売数量や販売価格を決めるわけでもない。

しかし、事業計画が特許や独自技術を成長の理由としているなら、その説明が事実に基づいているかを確認することはできる。

高橋は、売上計画の横に、関連する特許、対象製品、対象国、残存期間を書き込んでいった。

事業価値50億円という数字の奥に、技術と知財が果たしている役割が少しずつ見え始めていた。

今回のポイント

  • DCFの基礎:DCFは将来の売上高ではなく、事業が生み出す将来キャッシュ・フローを基礎にします。
  • 事業計画の前提:事業計画は、市場、販売数量、販売単価、コストなど、複数の前提を積み上げて作られます。
  • 売上とキャッシュ:売上が増えても、費用、税金、設備投資、運転資金が増えれば、同じだけキャッシュが増えるとは限りません。
  • 計画の確認方法:将来の計画を信じるか否かで決めるのではなく、前提を分解し、その根拠を確認します。
  • 過去実績との比較:過去の計画と実績の差は、事業計画の実現可能性を考える材料になります。
  • 知財部の確認範囲:事業計画が特許や独自技術を売上成長の理由としている場合、その前提となる事実を確認します。
  • 特許保有の限界:特許を保有しているという事実だけでは、将来の売上や競争力を裏付けたことにはなりません。

次回予告

第8話 技術はよい。それでも価値が低くなるのはなぜか

同じ金額の将来キャッシュ・フローでも、確実に得られる場合と、実現するか分からない場合とでは、現在の価値は同じではありません。

森田が高橋に説明したのは、「将来のお金を、現在の価値へ直す」という考え方でした。

技術が優れていても、事業化までに時間がかかる場合や、将来の売上に不確実性がある場合、その価値はどのように変わるのでしょうか。

高橋は、お金の時間価値、割引率、技術リスク、事業リスクの関係を学びます。

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知財担当者向け研修では、本記事を事前教材として使用し、架空事例または研修先企業の数字を使った演習とディスカッションを行います。